5月20日の夜―
きっと今頃センセーの元に集められた報告書たちは、「ガーデンにいきなり雪が降った」と声を揃えているに違いない。
多分雪が降ったこと自体はさほど重要じゃないけど、そこから続く不可解な出来事の冒頭演出としてはちょうど良いし、入学したタイミングで雪化粧したガーデンに迎えられたボクにとってはちょっと嬉しいハプニングでもあるので、ボクもまず雪の話から始めようかな。
いつものように起きて、朝の光を迎え入れるようにカーテンを開けた瞬間、一面の銀世界が広がるものだから、まぁ朝食もとらずに颯爽とグラウンドに向かって雪で遊んだり、プールが凍っていないか確認しに行ったり、肝心なスケート靴がないのに気が付いて試しに普通の靴で滑ろうとしたら酷い目にあったりと、原因がなんであれ与えられた娯楽を思いっきり楽しんでいたわけ。
お昼を迎える頃には当然お腹が空いて、寮へ帰って適当に何かつまんで、珍しく授業に出て…
日常に帰りつつ、以前ボクの歌にあわせて氷の上を滑ってみたいと言ってくれたドールを誘いにでも行こうかな…
…と思っていたところで事件が起きる。いや特に誰も死んだりモノが壊れたりしてないから事件と呼ぶには大げさかもだけど、正直そのへんのドールの首がいきなりもげるより驚いたのでそう呼ばせてもらうことにする。
*
「へっ!?」
寮の廊下でボクの身体が凍り付いた。そうさせたのは外の寒さじゃなく、ボクの目線の延長線上…ちょうど窓の傍に立っている、スーツ姿の黒髪の男性。
理由はふたつ。ひとつはこのいでたちに憶えがあるから。ふたつめは…そいつが今この場に存在すること自体、本来、ありえないからだ。
「うー、寒いなぁ…」
ちょうど顔がやや向こう側に逸れていてよく見えなかったのを良いことに、『スーツ姿のドールがイメチェンをしている』など他の可能性をいくつか考えてみたものの、聴こえた声にその全てを台無しにされる。
「や…ウソじゃん、そんなわけ…!」
無意識にそう呟きながら、ボクは、こっちがどんな気でいるかお構いなしに結露した窓に落書きをはじめた彼の顔をもっと見ようと駆け寄り、袖を掴んでむりやりこっちを向かせようとする。 男性の手元が狂ったせいで窓に描かれていた猫は途端に口が片耳まで裂けた化け物に変身してしまった。
「わ!?」
ソイツは袖を掴まれると振り向き、慌てて自由な方の手で窓に巣くってしまった悲しきカイブツを消しながらもう一度声を発する。
「カガリさん!どうしたんですか?」
言い回し、声の高さ、表情、全て過去の記憶と一致する振舞いで話しかけてきたソイツは……
「…………グロウ先生…?」
昨年、教育実習(笑←敢えてこう書かせて貰うよ。ボクもあの日ほど無知ではなくなったんだ)としてガーデンに来て、そして任期(笑)を終えた後廃棄処分された、グロウ先生。
忘れるわけがない。
大して一緒にいたわけでもないのに、呪い(読み方は任せるよ)のような言葉をボクに残して行った張本人なんだから。
「…ホンモノ……?」
「え……ニセモノがいるんですか!?だから皆さん、私のこと昔の名前で呼ぶんでしょうか……?」
「いやこっちが聞きたいよ!いないはずの先生が突然現れんだもん!!」
昔の名前とかサラッと知らない情報も流れ込んできたけど、それよりもこのグロウ先生が今ここに五体満足で立っているという情報でお腹いっぱい。
「え!?私、ずっとガーデンにいますよ!?生徒たちの記憶から存在抹消されてたんですか……!?」
「記憶がヘンなのは先生だよ!?」
思わず声をあげる。頭がおかしいから怒っているんじゃない。 先生の言うとおり、もしアナタがずっとガーデンにいたら…
そうだったら、どんなに、
…いや、今この話はいいや。
「お別れ会やったのも忘れちゃった…?」
「お別れ会は覚えてますよ!でもその後すぐ戻ってきたから、皆さん笑ったり泣いたり大変でしたよね……」
「………」
先生は多分嘘をついてるわけじゃないから、逆にこっちの記憶がおかしいのか?ヘンな夢でも見てるのか?と頭が混乱し始めたので
「他の皆も覚えてた?"すぐ戻ってきた"ときのこと」
一旦「ボクの記憶の話」は置いておくことにして、念のため頬や耳たぶをつねってみょんみょんさせて遊びながら、夢ではないことの照明と、冷静さの回復を同時に済ませる。
「え?えっと……皆さん、様子がおかしいのは間違いないんですよね……私が知らないところで、なにかあったんですか?」
詳しくは聞けなかったけど、『昔の名前で呼ぶ、様子のおかしい皆さん』多分おおよそボクと同じ反応をしていたことは、ぼくのおつむでだって予測できる。
「……色々、あったよ」
耳へと跳ね返ってくる自分の声を聞いて、ガラにもなくどんよりした表情になっているのに気づく。
「カガリさん……何があったんですか?」
グロウ先生は繰り返す。
「私や白縫さんでは力になれないことなんでしょうか……」
「しら……誰って?」
しれっと明かされる「知らない物語」に眉を顰める。 先生は一言一句本気なんだろうけど、こっちは
「もしグロウ先生が廃棄されずに生きていたら?」
という題で、大してグロウ先生への解像度が高くない誰かが書いたちゃちな台本で演劇をやらされてるみたい。ボクの書いた公開処刑の台本の方がよっぽど原作に忠実。
「白縫さんですよ。ほら、出てきてください〜」
こうしている間にも先生は、シラヌイさんなる存在を召喚?している。
「ご飯抜きにしますよ?」
「チッ」
グロウ先生の顔に、今迄見せたことがないような苛立ちの表情が描かれた。
「え何………キレた………?」
「あ? キレてねえが?」
先生の声で、先生らしからぬ返答がかえってくる。 メロディだけ同じで伴奏の雰囲気が180度変わった歌のような… ドール風にもっとわかりやすく例えると、全く別の人格コアを瞬時に入れ替えたような感覚。 いきなりオラつき始めたグロウ先生?の手に、光の粉のようなものが集まり、長い……恐らく武器のようなものが形成される。
…形状は違うけど、これを見ていると、先生がガーデンからいなくなった後に現れた、あのマギアビーストのことを思い出す。
武器の所有者は無造作にそれを持ったまま、気怠そうにこっちを見てる。
「……あー。アナタがしらぬい、さん?」
なぜ、どこから、どうやって…この際どうでもいい。 兎に角グロウ先生がシラヌイさんを連れてきて、バトンタッチした。そう考えないと先へ進まなさそうだ。
「もしかして、グロウ先生の記憶ぐっちゃぐちゃにしたのアナタ?」
「寝言は寝てから言うもんだろ
カガキィ。それとも、もう寝てるのか」
この箱庭、
グルグルクソ眼鏡を筆頭に名前をちゃんと言えないヤツ多すぎ。 寝言級のトンチキ話を聞かされているのはこっちだと反論はしたものの、正直聞きたいことが山ほどある中から瞬時にひとつを選ぶのが難しく、突飛な質問をぶつけてしまったのは確か。 気を取り直してこの「白縫」が何者で、なぜ先生の身体を通して喋っているのかを聞けば
「その話は一年前に終わっただろうが」
「証拠は?報告書かなんかに残してある?」
「カガキ……お前ェが出した報告書だぞ……?頭でも打ったか?」
ちょっと勝手にボクにまでヘンな設定つけるのやめてくんない!? あと一度は目を瞑ったけどやっぱり名前ちゃんと言えてないのワザトだよね??
「名前間違えてる時点でそっちの記憶力のがだいぶ怪しいんだけど!? 」
「カガリのガキでカガキに決まってるだろ」
「悪口じゃん」
そしてワザトじゃん。
「それにボクはそんな報告書一枚も出してないよ。シラヌイって名前も、ついでに『グロウ』が昔の名前ってのも初耳。わっけわかんない」
だんだん面倒くさくなり、寝ぼけてると思われようが、頭がイカれてると思われようがもうど~にでもな~れ!と勢いで思っているままを伝えたところ
「あっ……そうかお前ェ……俺のダチはメンタルヘルス専門みたいなところもあるんだ、診てもらえ」
ガチで頭がイカれてると思われてしまった。 メンタルヘルスの専門家、というとパッと浮かんでくるのはグロウ先生。 在学していた当初はくだらないと思っていたけど…今ならその意味がわからなくもない。 白縫はグロウのことをトモダチだと思っているらしい。まぁ、もとはひとつの体の中に入っていた人格のひとつひとつであったあのドール達の仲の良さを見ていると、同じ体を共有している相手を「トモダチ」と呼ぶのはうなずける。
……で、1000000歩譲ってボクの頭がイカれたとしたら。原因確実にそのメンタルヘルスの専門家だけど!? メンタルヘルスじゃなくてメンタル減ラスじゃん。勘弁してほしい。 とにかく流石に頭は正常だ…… と、否定しかけるも踏みとどまり
「……ん~~…そうだねぇ~~…この際診て貰っちゃおっかな~~…」
いっそ頭がおかしくなったという体にしてしまった方が逆に話をまともに聞いてくれるのではと、ややわざとらしい溜息をつき、悩み多きドールを演じ始める。
「……すみません、いつも白縫さんが失礼なこと言って……」
うん、だいぶね。
まーボクは普段友達にその100倍ぐらい失礼なこと言ってるから別にいいけど。 それはそうと、どうやらこの口調、白ジジイ(実際ジジイかどうか知らないけど18才のボクがまだガキに見えてるんならジジイでいいっしょ!おあいこおあいこ!白オジだと別のが頭に湧いてくるし)が退場したらしく、一部始終を見ていたのか、戻ってきたグロウ先生はややしょんぼりしている。
「……いやぁそれがあながち間違いじゃなくてぇ……最近メンタルなヘルスがボロボロでぇ…記憶がぐっちゃぐちゃで頭がおかしくなりそうなこともたった今思い出したよ!やだなぁボクってばホントドジ~~
そゆとこもカワイイ~~~…」
あやうく白ジジイの悪口を5連発ぐらい言いかけるところだったが、ぐっと堪えて引き続きメンタルなヘルスがボロボロなかわいそうなドール
(かわいい)の演技に集中する。
「え!?そうなんですか!?詳しく話を聞いても……?」
わざとらしくよろめいていると、グロウ先生が体を支えようと手を伸ばしてきた。 流石にそこまで看病(?)して貰うのは癪だったのでさりげなく身をかわし、彼が引き受けるはずだった役を近くの壁に与えた。 そして、先生の今の名前も、白縫という存在もなにひとつ思い出せないことを打ち明け、更に
「シラヌイさん情報によるとボクが書いた報告書があるらしいじゃん?それ見たらちょっとは思い出すかな~的な~~?」
と続ける。
「カガリさんの報告書、ですか……探してきますね!カガリさんは部屋で待っててください!」
ややオーバーリアクションだったか?という反省は全く不要だったようで、先生は懸命に親身にボクの話を聞くと、急いで寮の出口へと向かう。ボクも廊下にクソデカ溜息の置き土産を残し、自室へ。 うん、ハイパーチョロくて助かる。
*
さっきの会話で地味にすり減らされた神経を労うため、ベッドの上で両足を伸ばしてリラックスしていると、「失礼します」と礼儀正しい声と共に、開け放しておいたドアからグロウ先生が入ってきた。
「報告書、持ってきました!」
どれどれ~?一体ボクがどんな素晴らしい文章を残したって? ボクはその報告書に釘付けに……なろうとした。 無理だった。 釘付けになるべきものが全く書かれていない。表も裏も白紙だった。 数枚白紙が混ざっているだけかとパラパラとページを捲るが見事に真っ白。 もはや報告書じゃなくてらくがきノートだ。 突っ返すために先生に目をやると、先生は真剣な顔でボクの手元を見ている…のに、こんなミスに気づかないのはおかしい。なので
「あ~~ダメだ~~連日の勉強疲れでものすごい眩暈が~~!!せんせぇ読んで!」
親しいドールなら瞬時にバレる嘘をつきながら、やや強引に紙の束を押し付ける。 「分かりました!読み上げますね……と言っても長いので、要約させてもらいますね」 そりゃ長いだろうね。全ページをじっくり眺めるなんて長い長い虚無の旅でしかない。 …でも、先生は何と書いてあるのかが読めるらしい。
「まず私が
――ということになって、白縫さんは
――で、
――があって、
――になったんです!」
先生はすらすらと掻い摘んで説明している。が、所々不自然に空白があって聴こえない。 箱庭では、ドールが(今は)知るべきではないと判断された情報は、「プロテクトがかけられています」という音声でかき消されてしまう。でも今回のは…強力な耳栓でも突っ込まれた…いや違うな。 周りの楽器はいつも通りなのに、メインのピアノだけ無音にされたような、そんな不自然さがある。 何度か聞き返すけど結果は変わらず。
「やっぱり体調がすぐれないんですか……?」
そりゃ心配もされるよね。頭にくわえて耳までおかしくなっちゃったんだから。
「ダメ。やっぱ聞こえない。 ……ボクが知ると…誰かにとって都合が悪いのかも?」
この場では多分いらない一言を付け加えてしまい、余計に先生を困らせてしまう。体の検査を勧めてくる先生を、疲れているだけだと言いくるめた。実際、アタマはそこそこ疲弊している。 こんな時、もっと賢いドールであれば、うまい具合になにかしらの情報を引き出せるのだろう。
…特に先生を『君』づけで呼んでいるらしいあのドールは、きっと今ボクがやらなくてもしれっと有益な何かを勝ちとっているに違いない。
「………先生さ。ずっと前にボクと、友達についての話、したの覚えてる?」
ボクのおつむではこれ以上の詮索はできないので、ひとつ、気になっていたことを聞いてみる。 グロウ先生の中では、6月に教育実習の任期を終えたあと、すぐに正式な教師AIとして戻ってきたことになっていて、その後もボクらとガーデンで共に過ごした思い出もちゃんとある…ようだ。
「え?はい、もちろん覚えてますよ。……あの頃から時間が経って、カガリさんも変化したと感じてます」
グロウ先生からの返事はこうだ。ということは、全部知っているのだろうか。 ボクが学園祭の直前で声が出なくなったのも、そこからどうやって立ち直ったのかも、それから友達という存在について考えるようになったのも……
「…。……この報告書……アルゴ先生から見せて貰ったり、してるかな」
……そのきっかけとなる言葉をくれた先生に、本当は見て欲しかった報告書があり、それを『彼を尊敬している教師AI』に託したことも……
『友達について』あることないことを、ボクなりにまとめた報告書…の下書きノートを先生に手渡す。 今思うと、まだよく知りもしないくせに、随分と偉そうなことを書いた気がする。 不可解なことはあるけど、それを…一番見てほしかった先生にやっと見せることが出来
「これ、白紙ですね?」
人格コアが激しく鼓動し、ズキリと痛むような感覚が襲う。 体を傷つけられた時の痛みとは違う、浮遊魔法を上からかけられ、重苦しく、息苦しくなる痛み。
なんで。どうして。
てっきり、グロウ先生が教師AIになった経緯を知るのがマズく、何者かが「聴こえないように」しているのかと思ってたのに。報告書を読むなんて、きっとグロウ先生にとっては些細な思い出じゃないか。聞いちゃいけない情報と、まるで関係ないじゃないか。 下書き用ノートを強引に奪い取り、大声で読んでみる。
「……えっと、すみません。よく聞こえないです……」
…クソッ……
なんで邪魔するんだよ…
…なんで………
「……さっき先生がボクに読み聞かせてくれたときも、そんな感じだったよ」
やや苛立った声で、先程難聴やら疲れで誤魔化していたあれやこれやを説明する。
「……それって、どういうことなんでしょうか……?」
流石に今度ばかりは理解してもらえたようで、精密検査の話にはならなかった。 けれど…
「…わかんない」
わかってもらえたところで、ボクが今持っている答えはこれだけ。
…さっきも書いたように、形式が違うとはいえ情報が遮断される現象は箱庭ではよく起きているので、今回のもその類じゃないか、と、一応ボクなりの考え付け加える。
「ガーデンは都合悪い情報隠すの大好きじゃん」
ついでに、核心にたどり着けない悔しさを、精一杯込めた皮肉を吐き捨てる。 相手がガーデンの教師AIだろうとお構いなしだ。
「……ま、憶測だけどね~!」
最後はいつも通り、へらっとした笑みを添えて話を終える。
「たしかに隠蔽することは多いですが、教師AIにまで秘匿することは珍しいですね。何か起こっているんでしょうか……情報が得られたら共有しますね。
それもうまく伝えられるか分からないですが……」
ひとまず、今日のところはこれで解散となった。 ボクのあの報告書は、グロウ先生がいない時に起きたことも、プロテクトがかかりそうな情報も書かれていなかったはずなのに。
本人を目の前にして「いなくなってから後悔しても遅い」って言われてるみたいだ。
改めて、ボクがどんな気持ちでこの一年学年生活を送ってきたか、話してもきっと届かないんだろうな。たとえ情報の遮断がなかったとしても、ボクの言葉は肝心なとき、上手く伝わらない。
魔法や魔術を沢山覚えても、歴史の本に目を通しても正しい方法がわからない。
これが今ボクに「欠けているもの」だ。
グロウ先生が部屋から出て行って間もなく、ボクは着替えもせず、上着だけ脱ぎ捨ててベッドにうつぶせに倒れ込んだ。
Diari061「不自然な休符」
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