「コアを呑みたいからドールを傷つけて、都合良く人格だけ復元させたよ。 ぜーんぶボクの我儘。できるよって言われたことをやっただけ」
最終ミッションを成し遂げた理由を『友達のため』『先生との約束のため』 呑んだ人格コアを相手に返した理由を『変わらないでいて欲しいから』 綺麗に書こうと思えば幾らでもできるけれど、紐を解けばそれは全て都合の良い我儘。
それの何がいけないの?と問うように、ボクは笑顔を絶やさない。
「…………その」
「……?」
言葉を選んでいるのか、目の前のドールが思った以上に質の悪いサイコ野郎だったのでショックを受けているのか、イヌイさんは珍しく、言葉をなかなか出せずにいる。ボクは表情ひとつ変えずに小首を傾げる。
「……あんさんは……この後も、殺したりするやろか。それも、何の理由も無しに」
「………どうかな~♪」
「……やる? やらん? どっち?」
「……わかんないよ、そんなの」
淡々と迫る長針と、やる気のない短針のようなやり取り。
イヌイさんを試すつもりはない。当たり前のことを言っているだけ。 だって、触るなと言われたものを、わかりましたと言いながら触るようなコの「大丈夫、やらないよ」なんて信じられる? 今のところその予定はないけど、今後も絶対そうだなんて言いきれない。
なにせ、殺し合いが許されているような楽園なんだから、ここは。
「……。」
「ふふ。そうやんね」
背を向けたまま、じれったくなるような回答を続けても、イヌイさんは怒らなかった。 何を考えているんだろう。ある程度までは正直に話してくれるようになったとはいえ、未だにつかめない部分が多いのが、なんとなく悔しい。アルゴ先生のように、特別このドールに執着心があるわけじゃないけど…
――『ほんでも怒るンは興味持っとるからやろ?』――
イヌイさんを部屋に招いて、『嫌いになること』について話したときこんなことを言われて…
…かなりムッとした。
知ったような口を利かれたからじゃない。的を得ていたから。 声色や息遣いに頼らなくても、少し話をするだけでズバリ言い当てられるイヌイさん。今となってはかなり羨ましい。ボクは…音や表情にわかりやすく乗っていること以外は、なかなか読み取れない。
「ちょっと変えるわ。今、やる気は?」
今は別に、と言おうとしたけど、気が変わった。
「……やるって言ったらどうする?」
「うーん……そうやねぇ……」
一歩、また一歩と距離を詰めて来る。
もう一度回し蹴りか?
流石に怒るか?説得するのか?
命の花を摘もうとする腕をそぎ落とすか?
微笑みながら様子を見る。
手の届くところまで近づいてきたけど、向こうから何かしてくる気配はない。
我儘な殺人形魔獣(さつじんき)らしく、ナイフでも構えてみようか……
「っ…あ、れ!?なに、……」
身体が動かない。何が起きた?レリック?魔法? いや…イヌイさんは今両手に何も持っていない。『歩く』以外は目立ったことは特にしていない。 声は出せる。口も動かせる。鼻から空気も吸える。
「……ちゃんと、見とかなあきませんね、それは」
人差し指が伸びて来る。指の進行方向にあるのは…ボクの人格コア。 まさか…同じ方法で、コアの脈も止められてしまう……? 得体の知れないチカラで何が起きるのか全く予想できず、冷や汗が流れる。
つん。
「うぁっ!!」
コアのあたりを軽くつつかれた、と思ったら急に身体が自由になる。 それまで必死に動こうと力いっぱいもがいていたせいで、勢い余って尻もちをついてしまった。
「………」
俯いたまま静止する。 情けない。
「まぁ、なんかやりそうになるまではあたくしも何もしません。思うくらいは自由やしな……それとも、今何かします?」
「……やらないよ。さっきのも冗談だし」
声が震える。
「……かんにんね。怖がらすつもりはないンよ」
相手が屈んで目線の位置をあわせる。でもボクは項垂れたまま。
全く怖くなかったといえば嘘になるけど…今身体を駆け巡っている感情は怒り。 叫びたいのを、暴れたいのを必死にこらえている。 お前にとって自分は脅威になるかも知れないとからかっておきながら、相手に触れるどころか、何もできなかった。…いや、何をされたかさえわからなかった。
“無知とは弱さ”……ともだちのドールの…倒すべき『勇者』の言葉を思い出す。
もっと怒ってくれていいのに。どうしてボクが謝られなきゃいけないんだろう。言葉さえ返せない。
「縫合魔術、ていうらしいわ。今の」
イヌイさんが沈黙を破り、種明かしをした。 魔術に関する本は一冊持っているけれど、多分載っていなかった…と思う。
「……ほうごう、まじゅつ」
忘れないように、名前を繰り返す。 帰ってもう一度教科書を読んでみるか…或いは未だに解読できていない『石板の写し』の方? 他にも魔法に関するモノがあったはずだ。使えるようになるにはまずそれを読み解くところからになるだろうか…きっと使い方を覚えれば、どう対処するかもそのうち………
……いや。
「……もう一回、やって」
「もっかい……? わかりました」
笑顔を取り繕うのも忘れ、普段よりやや冷ややかな声音で言い放つ。 たとえ自分で使えなくても、受けることができるのなら。言葉や書物に頼らなくても得られる知識があるはずだ。その機会をまた逃すのか? 何のために、我儘を叶えてもらったんだ。
識るために。もっと。自分の力で。
立ち上がるイヌイさんの動きを座ったまま観察する。目が合う。いや、これはトリガーじゃない。まだ身体は動く。 一歩踏み込むその足に注目する。
来た。
開いたり閉じたりしたいという意志に反し、両手が固まってしまう。魔術の名前の通りなら、身体をぬいつけている何かを感じてもよさそうなものだが… 口と目は相変わらず解放されている。この差は何だ。視界の範囲の限りを見回す。いつもと違うところはないか。とはいえ今の首の角度ではほぼ足元しか確認できないけど。
…みつけた。
急ぎ足な風が頬を撫でたとき。イヌイさんの髪はさらさらと靡いていたのに対し、ボクのは一枚の絵のように止まったまま。顔をあげなくてもわかる。地面に描かれたお互いの”影”が、それを教えてくれているのだから。縫い付けられているのは影だ。先程踏み込んだ足も、しっかりと地面のボクを踏みしめている。そして、影として見えていない、目や口や体内の組織は動かせる。この状態で何かできることはないか……
影…影……光。
光あるところに影がある。
光の軌道がねじ曲がれば影も書き換わる。
縛られていても、ボクならば影を操ることができる。
目を閉じ、その方法を試す。屈折魔術だ。
身体が透明になる。身体だけじゃない。身に着けている服も、影さえも全て、見えなくなる。
「……ふふ。お上手」
見事に予想は的中した。
地面に座り込んではおらず、直立した状態で魔術を解く。
その姿を見て、イヌイさんは微笑んだ。
「…あ〜あ!知らない魔法使われたんじゃ何かしたくてもできないよ~~! もっとマジメに授業受けとくんだった~~~」
ボクは安堵の溜息を洩らし、再び相手に背を向け、いつもの声色で話す。 一応縫合魔術の打開策はひとつストックできたものの、あとからあとから知らない魔法が出てきたのではキリがない。
「ほほほほ……授業ももう何ケ月やっとらんやろねぇ。……あたくしでよかったら、教えましょか? 知っとるモンだけになるけど」
ぶっちゃけボクが入学したあとは、授業をしていた期間の方が少ないから、ちゃんと聞いていてもいなくても大して変わらなかったんだろうけど。
「教えちゃっていいの~?悪いことに使うかもよ?」
「あぁ……ほなやめとこか」
「へへへ。まずは自分の力で勉強してみる!」
イヌイさんのことは嫌いじゃなかったし、頼めばなんだかんだで割り切って教えてくれるとは思う。 でも…いまは周りに頼る前にもう少し、自分で何とかできることを探してみたい。 新たなレリック、新たな魔法…既にこのドールからは、貴重なものを沢山貰っているのだから。
「……今日は…いろいろありがとね、イヌイさん」
アルゴ先生と戦ってからというもの、過去の自分の行動にがっかりする事が多かった。 知ろうとすれば、わからないことが増え、強くなろうとすれば、弱さが露呈する。それを繰り返すばかりでうんざりしていた。 …でも、自分で答えを見つけ出すのは…その答えの下から別の謎が顔を出すのは…これはこれで楽しいなと思った。解いたかたっぱしから増える楽しいクイズの本のよう。そういえば、タイクツという言葉ともすっかり疎遠だった。 グラウンドで沢山砂まみれになったのも、前に進むのをサボって、遊び半分で不思議な壺の中へ入ったことも、完全に無駄ではなかったのかも知れない。本当にただの我儘だけで終わらせないために、まだまだ足掻く希望が見え、ボクはイヌイさんに心からの感謝を伝えた。
「いいえ、こっちこそおおきに。……あの壺、どうしても使いたい時は言うて?」
「!………わかった」
思わずぱぁっと瞳を輝かせて笑う。 壺を使わせてもらえることよりも、理由もなく誰かを手にかけるかもしれないという本質を知ったうえで、そのドールが尚も我儘になることを許してくれたのが、嬉しかった……んだと思う。
それが正しいことなのかどうかはわからないけれど。
「…それじゃ、また!」
ひらひらと手を振り、グラウンドを後にする。 乱暴にきつく縫い付けた糸が少しほどけたように、その足取りは軽やかだった。
Diary045「得たものと奪ったもの(後編)」
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