仰向けでしか眠れなさそうな大きなツノが特徴で、ちょっと古めかしいと感じるような独特な喋り方のせいか、ボクと同い年のはずなのにずっと大人のように感じる。 だから自然と「イヌイさん」と呼んでしまう。特別距離をとってるわけではないんだけど。 そもそも、たま~にしか見かけないから『知る機会』がない。
…そんなイヌイさんと、ガーデンで9月から行われている運動会『ぴーじーぴー』で競技を一緒にこなすタイミングが何度かあったので、今日は大玉転がしをした時のことを書こうと思う。
元々はふたりだけでどうにか騎馬戦をする為に馬の代わりとして大玉を持ってきたんだけど、上手く手綱をとれずに大惨事を招いたので、本来の方法で使うことにしたんだ。 意味が分からないと感じたそこのキミは、
イヌイさんの報告書を読んでみてね。
「前が見えづらいね~…コースアウトしてイヌイさんに激突しちゃったらど~しよ!」
「そうならんようにしてほしいのやけども?」
「気を付けま~す!」
『気を付ける』とは言ったけど『激突しない』とは言っていない。
玉に視界の殆どを占拠されるんだ、何が起きてもおかしくはない。
『位置について よーい』
センセーの、イマイチ気合が入らない掛け声と、パァンという合図でスタートを切る。同じ日に徒競走をした後だったので、今回は驚かなかった。
「そ~れ!」
好スタートを切り、難なく大玉を転がし一気にゴールまで…駆け抜けられたのなら良かったんだけど、先程大玉に乗ろうとして豪快にコケた痛みが体じゅうに居座っていたので
「いちちち…」
足を踏み込めばジンジン。玉を転がせばジンジン。予想以上にひどい転び方をしたらしい。 横でずっと聴こえていたイヌイさんの足音が徐々に前へ、そして小さくなる。
あ~…追い抜かれた、そう確信した。
相手の足音は今や完全にボクの前でリズムを刻む。どうにか形成を逆転させたいけど、これ以上勢いをつけさせるものかと体の痛みが邪魔をする。勝ちを譲ってしまうのか?全く打つ手がない…とにかくがむしゃらに体を動かすしかない……そう思っていたとき
「あら、あら……難しいねぇこれ」
イヌイさんの声が変な方向から聞こえた。 勝利を目前にしている走者の声が『そんな場所』から聴こえてくるはずがない…あのドールにはツノがある。録音魔法で攪乱することだってできるはずだ… 後ろ、前…可能性として考えられる方向に目をやり、イヌイさんの姿を確認するけどだ~れもいない。結局、最初に声した位置に本体が居た。コースから外れた場所で、大玉と戯れていた。
「…ちょ、イヌイさん? どこいくの?」
イヌイさんに何が起きたのか全くわからず、単に競技を放棄しているように見えた。こんなんじゃ試合にならない。ボクは慌てて連れ戻そうと、同じくコース外へ出ようとした。 しかし、ボクの大玉はそれを許さなかった。
「あちょ、待ってよ!!!!!」
大玉は通りすがりの追い風に乗り、このチャンスを逃すなんて馬鹿のやることだと言わんばかりに転がって行く。このまま勝手に転がって他の競技の邪魔になると色々面倒臭い。最悪の場合罰則だ。確か幾つか罰則を喰らったツケが溜まっているはず。こんなことでガーデンの生活を終了させるわけにはいかない。 ボクは身体の痛みもお構いなしで大玉を追いかけ、無事再会を果たした勢いのままゴールラインを突っ切っていた。
*
「これ、おっきい割にすぐ飛ぶねぇ。あたくしには難しいわ」
競技に決着はついた。しかし決してボクの納得いく形ではなかったので、遅れてやってきたイヌイさんに疑いのまなざしを向ける。
「その割にはボクより疲れてないよーな…………」
「お散歩のおかげとちゃいます?」
イヌイさんは普段箱庭の色んなところを「お散歩」しているようだけど、どう考えてもそれが理由じゃない。
「……む〜……イヌイさん舐めプしてない?」
「してませんしてません。そんなねぇ……」
「…だって、それだけお散歩で鍛えられてるならボク追い抜けたんじゃない? ボクなんてボールも使いこなせてないし、見てよこれ」
身体は砂利と土だらけ。どこぞの眼鏡に見つかれば確実に『まァた土のトッピングですかァ砂利さん』とからかわれるだろう。 更に所々に擦りむいた跡。多分軽めの決闘をしたと言っても疑われないと思う。
「めっちゃハンデあるのに…」
「あんさんが上手やっただけやよ。あたくしも触ったばっかですぐ使えませんわ……さっきかて、飛ばしてしもたのやしね?」
まだ腑に落ちない。 直前まで追い抜けるほどのスピードで走っていたにしては、戻ってくるのが遅すぎる。
「さっきはあんなにスッと避けてたのに…? …ケガしてるのわかってて手加減したとかだったらヤだからね??」
「……ほほほ。なんであたくしが手加減せなあかんのよ。ねぇ?」
「………」
「イヌイさんが負けることで興奮するタイプのドールだから」
「なわけあるかい!!」
ほら見ろ。
いくらイヌイさんをよく知らないとはいえ、某先生との会話のやりとりを聞いていたから 違う時は間髪入れずに否定するドールだっていうのはわかってたんだ。 やっぱり…手加減してる。
「……で〜もさ、前イヌイさんって嫌われることに興味持ってなかった? 今のは冗談としても……嫌われたり負けたり、自分が不利になることに興味があるドールなのかな〜……とはちょっと思ってるとこあるよ」
…あれは、ガーデンに入学して一か月も経たない頃。
『あんさんに、嫌いな子が居ったとしましょ。どんな感じに関わります?』
自らの料理でお腹をこわしてしまったボクを、イヌイさんが看病してくれたとき…こんなことを訊かれた。 …思えば、ボクが初めて自室に招いたドールって、イヌイさんだったな。
『話しただけでぷんすこしちゃうから、なるっっだけ関わらないようにするか逆にこっちから喧嘩ふっかけるかのどっちかですかね!』
『…そういうイヌイセンパイは?嫌いなコが目の前にいたら、どうするんですかぁ?』 『……嫌いな子なんて居らんよ、あたくしには』
『……もしかして、他人を全く嫌えないタイプ……?だから、嫌いになるとどうなるか興味があったのかな?』
『そう、そう。そういうことやね』
こんな話をしたのを今でも覚えていたので、他人形の気持ちを察するなんて芸当ボクには到底ムリだけど、貧しいアタマで、一応真面目に考えてはみたんだ。
「…………。純粋に、負けてしもただけですえ」
「ナニ!? 間が怖いよ!!?ボクなんかマズいこと言った!???」
「いいえ、何も。ありませんよ」
話してくれる気はないようだ。
「……ま、いっか。純粋に負けた……ってコトにしといてあげる!」
上手く相手から情報を引き出すのは上手くない。このドールにではないけれど、詰め寄って失敗しちゃったこともあるし、今日のところはこのくらいでカンベンしてあげよう。 話せるチャンスはまだまだあるはずだ。またグラウンドで会ったら別の競技に参加しようと釘を刺し、ボクはグラウンドを後にする。
…これは、9月が終わりを告げようとしていた頃の出来事。
*
…今日は10月22日。この日記を書いていて思い出した。 ボクの部屋に来た日…世話を焼いてくれるイヌイさんに『ドール助けが好きなのか』と尋ねたところ、返ってきた言葉を。
「……そやね。ほっとこ思たらいくらでもできます。あたくしかていっつもそうしとる。 そやけど、ちょっとくらい何かやっとこかなて、思いまして」
そして少し間を置いて
「……できるうちにね」
と付け加えた。
…皮肉にもこのドールは今まさに、ボクらにちょっとくらいの何かもできない場所にいる。
イヌイさんはこの時から、そうなる未来が見えていた…或いは、そうするつもりだったのだろうか。 何も知らない、知るつもりもなかった当時のボクは、軽々とこんな風に返した。
「…じゃあ、今度…『ボクが力になれるとき』にイヌイセンパイが困ってたら、助けに行っちゃおっかな?」
ほぼほぼ冗談だったその言葉を、どうやら実行に移す機会が巡ってきたようだ。
★Diary037「イヌイさん、どこ行くの!?」
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