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ガーデンでの生活を記録したり、報告書をボク用にまとめたり。
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    プレリュード

    もしも一日だけ、どんな我儘も許される日が貰えたら、皆は何をする?
    誰にそれを、叶えてもらう?







    10月21日の朝。
    珍しく早起きしたので、傍らで寝ている白くてふわふわないのちを起こさないようにリビングへ。料理好きのドールと会うかと思ったけどこの時間帯は偶然貸し切りだった。もうちょっと時間をずらせば面白いものが見られたとかなんとか…まぁ、この話は今はいいや。
    腕を捲り上げ、珍しくキッチンに立つ。トースターでパンを焼いている間、スクランブルエッグの準備にとりかかろうと卵を割ったら、黄身が二個するんと飛び出す。当たりだ。 崩してしまうのは勿体ないので、ベーコンエッグにしよう。 もう目玉焼きを爆発させることはなくなったが、かといって手先はあまり器用ではないのでよく目玉が崩壊する。でも今日は…少しずらした蓋をあけてフライパンを確認してみれば、カリカリのベーコンに形のととのった黄昏色の目がふたつ。
    なんだか、今日は何をやっても上手くいきそうだ。
    そんな単純な、なにげない理由で、ボクはこの日を「うんと我儘になる日」とし、早速こんがりと焼きあがったトーストに少し大胆なサイズでアイスクリームを乗せるのだった。



    *



    太陽が真ん中より少し傾いた頃。 ボクの我儘はまだ続く。…いや、今から前奏が始まるというところ。 あたりを念入りに見回し、誰もいないことを確認してから寮の一室のドアをノックをする。普段なら同時に部屋に住むドールの名前を大声で呼ぶ口は堅くとざして。誰の部屋を訪れたかは、出てきたドールの反応を見ればすぐにわかるだろう。

    「…………ガリさん?」

    こんなふざけた呼び方をするのはガーデンの中でひとりしかいない。
    チョコレートをぶちまけてやりたい白衣に、ぶち割ってやりたいぐるぐる眼鏡……
    同期のドール、ジオだ。
    ボクがコイツを部屋から呼び出したのは二回目。でも一回目はノックなんてすっ飛ばしちゃったから、扉を叩く音の先にボクがいたことが相当意外だったに違いない。ジオはノックの主は別にいるのではと辺りを探し始めた。

    「……来てほしいとこがあるんだけど」

    相手の行動は無視し、足元を見つめながらぶつぶつと呟くように話を切り出す。 返答を待っていると、肩にぽんと手が乗る。顔を上げれば怪訝そうな顔で

    「…………変装魔法を使った誰かではなさそうだァ」

    変装魔法とは、ツノの生えているグリークラスのドールが使える見た目を変えてしまう魔法だ。体質そのものが変化するわけじゃないので触れられると元に戻る。ボクに変装してイタズラを仕掛けたヤツがいると疑ったのだろう。グリーンクラスでそれを1番やりそうなのはどう考えてもオマエだろ。

    「…いーから。……ワンズの森……ついて来てくんない?……申請は…してある」
    「ほゥ……」

    不機嫌そうに手を払いながら用件を伝えると、ジオは口元を白衣の袖で隠しつつ何か考え込んでいるようだ。 やっぱり、不可解だったろうか。普段このドールを連れ出すなんて絶対にしないから。

    「面白そうなものが見れそうであることには違いなさそうだァ、いいでしょゥ」

    もっと深く探られるかと覚悟していたけど、ジオは意外にあっさりと聞き入れてくれた。

    「…入口んとこで、待ってるから」

    それ以上の質問は許さないとばかりに、ボクは足早に下り階段を目指す。



    *


    太陽が少しずつ空の坂を下り始めるが、空はまだ青い。
    森の入り口で適当に歌を口ずさみながら待ちびとが到着するまでの時間を持て余す。 時折別のドールが来ないか警戒する。『誰かに見られてはいけない』というルールは、ボクの中にしかないのだけど。
    そこまでタイクツしないうちに、ジオが来た。ボクは特別目が良いというわけではないけど、なにせ白衣を身にまとっているので遠くに居てもわかる……向こうもボクに気が付くと、なぜかボクを観察しはじめる。警戒しているのがあからさまだっただろうか。とりあえずもたもたされてもしょうがないので彼を急かすように手招きする。相手にはこちらの動きが伝わったようだが………突然、足取りがゆ~っくりになる。さっきはテンポよく話が進んだので忘れかけてたけど……コイツはこーいうドールだ。目を凝らして見れば、肩まで振わせて…完全に面白がってる!

    『わざとやってんでしょ早く来て』

    周りを気にして大声を出すのは控えていたけど、念話ではブチギレ放題だ。頭の中で上手く轟音を反響できたようで、ジオはやれやれと首を振りながらようやく声が届く距離まで近づいてきた。

    「なァにをそんなに隠しているのでェ?」

    やはりここでも質問は無用、とばかりに間髪入れず森の中へ。 幸い、背後から小さな溜息が聞こえるが特に話を振ってくる様子はない。逆に言えば、理由も聞かずについてきてくれるようだ。



    *


    木々が空を遮り、その間から僅かに木漏れ日が顔を覗かせる。
    ジオを待っている時には小さく耳に届いていた、グラウンドの歓声や競技開始を告げるパァンという音………いずれもぴーじーぴーというガーデンの運動会によるものだ………も今や全く聞こえてこない。 後ろを振り返り、森の入り口からかなり遠ざかったのを確認すると、すっと肩の力が抜けた。

    「…最近は…なんかヘンな実験とかやってるの?」
    「はい?……貴女の言う"ヘンな"というのがどの程度のことか分かりかねますがァ……ま、色々と?」

    両手を頭の後ろに回して呑気に歩きながら世間話を持ち掛ければ、その分厚いレンズのように曇って曖昧な答えが返ってくる。

    「なんでもかんでもカガクだのジッケンだのって言ってる時点でヘンだよ」

    彼は魔法をカガクだと言った。
    料理を、ピアノを奏で歌と、そして感情と共鳴することを、
    一般生徒を殺害することさえも、実験だと言い張った。
    でも、それを心から咎める意図はなかった。

    「そういうコアを小生に与えたのはガーデンなのでェ、ご不満ならガーデンに言ってくださいな」
    「…コア、ねぇ」

    人格コア。
    ナイトガーデンカードを持つドールには、必ず与えられているとされているもの。
    食べなくても寝なくても死ぬことはないドールも、人格コアを抜かれると機能を停止してしまう。 ボクがいつから、なぜ、どうしてガーデンに居るのかは全く知らない。ガーデンにつくられ、ガーデンに決められた人格をあてがわれて『いない』とは断言できない。…でも、それが何だ。 色々あったけど、ボクはボクであることを誇りに思っている。
    …けれど……彼は、どうなのだろう。

    やがて、少し開けた場所にたどり着いた。ボクはこの場所に見覚えがあった。

    「……でも、ジッケンは…………………、おもしろいよね」

    相手の方は見ずにぽつりと呟く。感情を観察するのが好きなジオなら、顔を見なくても声色から穏やかに微笑んでいるのが分かるだろう。

    「おや貴女にしては珍し…………くもないですかァ。実技はお好きでしたからねェ?」

    座学は嫌いだが実践は別。一般生徒の解体実験に便乗したときの会話をどうやら覚えていたようだ。

    「…」

    彼の考えに寄り添うのは癪だが……実際、思いついたことを試すのは面白い。彼と違ってボクはバカだから、派手に失敗することも多いけど…それさえも、面白い、良いタイクツしのぎだ。 今日、この瞬間だって……既に『実験』が始まっている。

    「……ねえ!」

    まるで目の前にいるのが別のドールであるかのように、ボクは明るい声色で次の話題を切り出す。 普段のボクなら気持ち悪いと思うだろうな。でも、いい。
    好奇心が旺盛なところ…
    目的の為なら平気で校則を破れるところ…
    …入学してからずっと彼と接してきてうすうす気づいてはいたけれど……ボクらはどこか似ている。彼は知識と計算を、ボクはノリと気合を重んじるから会えばまず話はかみ合わないけど……目指しているところが時々被っていたり……それが逆に腹が立つんだけど………今日だけはそれを『楽しんでみる』ことに決めたのだ。

    ポケットから赤いリボンを取り出す。これはセンセーから貰った道具が入っている箱についていたもの。おもむろに足元にそれを置く。

    「これもカガクだったりするのかな?」

    肩に触ってきただけで不機嫌全開で拒絶したドールの手首を、ボクは何の躊躇もなく掴んで、無邪気な笑顔を絶やすことなく奥へ、奥へとまっすぐ進む。そして暫く歩くと………数分前に見た、地面に寝そべっている赤いリボンと再び遭遇する。リボンだけではない。周りの景色は歩き出す前と全く同じだ。

    「ね、どう思う?」

    ボクはこの現象を一度経験したことがある。ワンズの森をある程度進むと、道を間違えたわけでもないのに、特定の場所まで戻ってきてしまう。つまり、それ以上先に進めなくなってしまうのだ。

    「…………ふはっ」

    このナゾの現象に対して、一体このカガクバカはどのように結論づけるのか興味があった。 だから、一緒に行動したくもない彼をわざわざこの森に連れてきた……… と言えば、彼は納得するだろうか。

    「これをカガクとは……強いて言うなれば蜃気楼だとかその類かもしれませんがァ……初めて見るが、知ってはいますよこれの原因」
    「…シンキロウ〜?それってカガクとは違うの?境目が全然わかんないよ!」

    同じ不思議な現象でもカガクとそうでないものがあるらしい。ボクはリボンを拾いながら、相手の話に耳を傾ける。眉を寄せてむ~んと難しい顔を繕うが、内心相手の答えが待ち遠しい。

    「いえ、蜃気楼そのものはカガクです。主に温度の変化で空気の密度に差が出た時、光の屈折が通常と異なり……と言ったように、事象に説明がつくものはカガクだァ」

    いつも通り饒舌に話すジオの話を聞きながら、その理論でいうと屈折魔術や幻視魔法をカガクというのは説得力があるのかも知れない…などと心の中で魔法をカガクテキに考えてみる。

    「そういう意味だと、今回の"同じ場所に戻る"という不可解な事象は説明を付けられない。理由は知っている、だが、説明ができないんですよォ。その原理に」

    理由……。
    以前にワンズの森を訪れたとき、『同じ場所に戻る』現象はボクの同行者には起きなかった。理由を考えてみたけど、そのとき同行者は『飛んでいた』。空から森全体を観察しながら進めば、謎の現象に足をとられることもないのだろうか?……と、考えたことがある。 正確に知っているというのなら、答え合わせだ。

    「………ふ〜ん……その『理由』って?」
    「最終ミッションを達成したドールだけが、森の奥にいくことを許されている」

    ジオの口調から、いちいち言葉をわざとらしく伸ばすあの耳障りな癖が消えている。

    「……そう、聞いてます」
    「………」

    最終ミッション。
    ガーデンに入学した瞬間から、ボクらには『ミッション』が与えられていた。 それをこなせば、報酬が手に入る。知識や道具から、欠けてしまった記憶にまで及ぶ。
    いくつかのミッションをこなしたドールに与えられる最終ミッション……
    それは

    『最も傷つけたくないドールの人格コアを呑み込む』。

    つまり、最も傷つけたくないドールの体を傷つけ、切り開き、生命を維持するものを取り出す。 そうすれば、ドールなら必ずある「欠けたもの」をすべて思い出すことができる。

    つながった。

    ……ちょうど一か月前、ボクとワンズの森に行ったドール…アザミは最終ミッションを達成している。他でもないボクのコアを使って。 予想していたよりもずっと単純で、ずっと不可解な理由だった。 最終ミッションを達成すると、他にも色々なことが起こるようだ。本来なら使えないはずの特定の魔法が使えるようになっていたり…欠けたものの他にも、…色々な情報を得ることができるようだ。……その情報は、本人がうっかり口走ってしまったとしても、未到達者には漏れないよう『ぷろてくと』という魔法(?)で厳重に管理されている。

    「…………そっか。キミはそんな事も知ってるんだ」

    『無知なままでは強くはなれない』…おぼえがきのように度々日記に登場させているアザミの言葉が、ジオを見ていると妙に説得力がある。 魔力質、魔力量もボクの方が上なのに、ボクは彼には、勝てない。

    「………ホンット、いつもそうだよね。 キミの方が後からガーデンに来たくせに、キミの方がいつもボクより数歩先に進んでて。 勉強だけじゃなくて料理もピアノも上手いし……

    ……参っちゃうよ」

    認めまいとしていたことを…いや、本当はずっと前から伝えたかったことを… ボクの中の『ぷろてくと』を解いて、少しずつ言葉を紡ぐ。 つんとした表情が、無意識に柔らかくなる。

    「気になったことを、適切な相手に聞いて回っている、ただそれだけのことだァ……身をもってなにかしているわけじゃないですよォ。ちょうどよい情報源が居たものですから」

    気になったら突っ走る、それはボクも同じだ。でも彼は、そのやり方がきっと上手い。 だから悔しい。悔しくて…

    …羨ましい。

    「些細な差でしょゥ、貴女と小生が来たタイミングなんて。貴女こそ、小生にないものを持っているじゃァないですかァ……」
    「ま〜〜可愛さでは確実に勝ってるけど!!??」
    「そういう話じゃないです」

    しょうがないだろ。そんな風に言われるなんて思ってなかったんだから。調子が狂ったじゃないか。 そういうところだよ。という台詞を喉から必死に出さないようにしながらただただ口を尖らせる。

    「…情報源、ね。…ボクが絶妙に歌いやすくなるようなピアノの弾き方は?」
    「貴女に合わせるようにシミュレーションしながら練習したまでですよォ……その方が感情が揺れ…………貴女に合わせて言うなれば、燃えたでしょゥ?」

    ジオはククっと喉を鳴らす。

    学園祭のフィナーレライブで、ボクはボーカル、ジオはピアノの担当だった。 他にも一緒に歌い演奏した仲間たちがいた。 バンドアンサンブルだというのにボクがその日の気分で微妙にリズムやテンポを無視するから、よく周りに怒られたりしたものだ。
    ライブの最後に歌う曲で、ピアノと歌のみで構成される小節があった。タイミングを合わせる時、てっきりメトロノームを鳴らしながら「速さは120厳守で1.5拍目から歌え」…という嫌に細かい指示が来ると思っていた。でも実際は…柔らかいタッチで奏でられた和音ひとつと、

    「後は貴女のタイミングで。…あァ、客席からは目を逸らさないようにお願いしますよォ」

    …これだけだった。 そんなガバガバで演奏が乱れるのではないかと心配するドールもいた中で、ジオはボクのフリーテンポな歌に強弱、和音の展開…全てにおいて違和感のない伴奏をさらりとつけたのだった。

    『燃えただろう』の一言に反論の余地など全く無く…しかし降参する選択肢もなかった。

    「誰かと気持ちを合わせたりするのは嫌いかと思ってたけど。………寧ろ、好きだったりしてね?」

    反撃を試みるように、或いは相手を探るように挑戦的な目で見つめる。

    「嫌いだとは言いません、ただァ……必要がないだけ」

    ジオは動じず、ふ、と鼻で笑ってさも当然かのように言い捨てる。

    「実験の為ならば幾らでも合わせますよォ?それだけ、それができるだけの観察はしてきたつもりですからねェ。まだまだ不足している部分もあるようには思いますがァ……そこはトライアンドエラーです」
    「ふ~ん?じゃああの演奏は、カガリちゃんの満足度100%の笑顔を何秒で引き出せるかの実験だったのかな~?」

    ここでも『実験』か。それなら、とおどけてみせる。

    「貴女だけではない。貴女の唯一と言っていいその歌声という長所に見合うだけの音を載せて、どこまで、どれだけのドールが揺さぶられるのか。ま、結果は上々ですねェ……あれ以来、耳をすませばそこかしこであの歌が聞こえる日々だァ」

    …『貴女ではない』じゃなくて『貴女だけではない』か。
    ふぅん。
    半分冗談のつもりだったのに。 …そこそこ褒めるじゃん。
    それに……

    「……結局、それって『好き』ってことじゃん。 和音がピッタリ合う瞬間が、感情同士が共鳴する瞬間が、楽しいんじゃないの?」
    「さァ……自分のことなど……小生自身のことなどには興味がありませんから」
    「…ふ~~~ん、へぇ~~~」

    興味がないと言いながらも「好きってこと」を否定してはいない。或いは、興味がないから気づいていないだけなのか。

    ……やっぱり………

    「……『ジオ』って、素直じゃないんだねぇ」
    「貴女にだけは言われたくないですねェ」

    ………似てるでしょ。ボクたちって。
    でも、今日のボクは素直な方だと思うよ。
    だって、たまにはキミより一歩先に立ちたいじゃない。

    「で?結局本題は何ですか?」

    今日はボクがうんと我儘になる日。 きっと皆もそうでしょ?
    ボクと同じ日を迎えた皆は 一番我儘になって…自分の願いに、自分の気持ちに…
    …一番正直になったに違いない。

    だから、ボクもそうする。

    いまだけは。 後先なんて関係ない。

    だって…ボクがなにを言っても、

    キミは覚えていない。

    誰にも聞こえない。



    それが今日、キミをここに連れてきた理由。


    「………」

    舞台で歌い出すときのように、元気よく自己紹介する瞬間のように大きく息を吸い込んで、まっすぐに相手を見る。

    「……実験に、付き合ってよ」

    そして、今のままでは立ち入ることのできない森の奥を指差す。


    「ボクがこの奥へ進めるかどうかの、実験に」


    Diary035「プレリュード」
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