どんな顔をして、なんと言って入るべきだろう。
まだ皆ボクを、待っていてくれるのだろうか。
歩幅がだんだん控えめになる。
ドンッ
「あっ…てて」
全く前を見ずに歩いていたので、授業を終えて校舎の外に向かおうとする一般生徒ドールとぶつかってしまった。声は相変わらず掠れてはいるが、もう息が詰まることはなくなったようだ。
「うあぁ、もう!」
もたもたしながら悩み続けるなんてボクらしくない。
ボクは両頬を軽く二回叩き、一気に階段を駆け上がり、ブレーキがかからないうちに音楽室のドアを摑み勢いよく開ける。あまりに大きな音を立てたせいか、中にいたドール達が一瞬驚きの表情を見せる。
「あ、カガリくん」
一番最初にボクを呼んだのは、ひょんなことからスタッフとして参加することになったククツミセンパイ。実は、『ライブスタッフのククツミ』はもうひとり居て、毎回どちらかが練習に顔を出している。ちょっと意味が分からないと思うけど、これについてはまた改めて書く。
「カガリちゃん!」
「お。復帰かな?」
続いて、同じボーカル担当のアイラ、放送委員で鍛えられたトーク力でライブ当日に司会をしてくれるシャロンも口元に笑みを浮かべる。共同主催のアルゴ先生は…まだ来ていないようだ。
「もう、声は大丈夫で……」
仮面のドール、ロベルトがドラムのスツールから立ち上がり、スティックを持ったまま駆け寄ろうとしたその時、バンと机を叩きながら乱暴に立ち上がるドールがいた。 抜け殻になっていたボクに喝を入れてくれたドール、リツだ。
「遅い」
教室の空気がやや曇る。しかし、リツがボクを笑顔で歓迎できない理由は明白だ。
「遅すぎ!!何日待たせてると思ってんの!?」
ずんずんと迫りながらリツは声を張り上げる。
「お陰であたし…」
両手を腰に当て、ずいっと顔を近づけ
「あんたのパート完コピしちゃったんだけど!!?」
やや声を裏返しながら吠えると、
「ふふっ」「クスクス」と誰かが小さく噴き出した。 犯人はククツミとシャロンだ。
「おいそこ!笑わない!」
「いやぁ、ごめんごめん。つい、さっきの練習を思い出しちゃって」
ボクが来る前、既に一、二回歌っていたのだろうか。ククツミセンパイがふわりと笑う。
「びっくりしたよ!すらっと歌いあげちゃうものだから。前来た時は確か、自分のパートすらなかなか覚えられなくて苦労してたはずだったのに」
シャロンは歌や演奏には参加しないので練習へ顔を出す頻度もやや低めだけど、それを抜きにしても相当なものだったらしい。
「カガリちゃんの歌い癖もちょっと出てた気がする!」
アイラの声が、いつもよりやや落ち着いている。テンションが低いという意味ではなく、明るい声を取り繕っていないというか、肩の力が抜けている感じ。
「人形(ひと)知れず努力されたんですね、リツ先輩」
ロベルトの声色が、仮面の下で口角が上がっていることを教えてくれる。
「い…今そういうのいいって……」
…リツは耳まで赤くなってしまった。優しい笑い声が包む中、ひとりだけ気まずそうだ。 ボクは皆の会話が途切れた隙を見計らって、一歩進み出た。
「みんな」
音吐朗々とはほど遠い、すり減り、かすれた声音を出す。 ククツミセンパイ、アイラ、リツ、ロベルト、シャロンを順番に見てから
「……ごめんなさい」
ゆっくりと頭を下げた。 しん、と辺りが静まった。音のない場面。ボクが一番苦手なもの。 でも我慢だ。
「歌えるまで…しっかり、治すから……」
頭を下げたまま、ボクは言葉を紡ぎ続ける。 怒っているかな。軽蔑しているかな。がっかりしているかな。
「だから、またみんなと」
断られてもいい。罵られてもいい。今はただ自分が言うべきことを言え。
「ステージに立たせてください」
伝えきった。
まだ顔を上げない。
静寂が止まない。
息が詰まりそうだ。
それでも…踏ん張れ。
「……というわけだから」
リツがボクの両肩を摑んで無理やり顔を上げさせた。
「今日から暫くカガリの鬼練週間入るぞ!」
リツが気合の入った声で号令をかける。
「ま、まずはリハビリからに…」
「ダメ。あと一か月しかないんだよ」
ロベルトの慈悲があっけなく却下される。
「本番までリツくんからは逃げられなさそうだね、カガリくん?」
ひだまりのようにはにかみながらもククツミセンパイは全く助ける気はないようだ。
「『カガリくん罰則ポイント』の贖罪代わりになるとしても、これは助けられないなぁ」
なぜここでこの言葉が登場するのかは今は多くは語らない。 ボクを不機嫌にさせた際に付与される『カガリちゃん罰則ポイント』を、ククツミ『達』は大量に稼いでしまった、とだけ書いておく。
「滑舌や発声を鍛えるなら俺に任せて!早速明日から早口言葉一日100個やってみる?」
シャロンが更に追い打ちをかける。発声は大事だけどわざわざ苦手分野で特訓させるあたり絶対こっちも面白がってる。
「シャロン先輩、前より無茶ぶり多くなってません?」
アイラも一見ボクを庇ってくれているようで、この状況をちょっと楽しんでいるような口ぶりだ。
……でも、これでいい。
だって…またボクは、ここにいることを許されたのだから。 ボクはリツに肩をがっっっちり摑まれながらも、柔らかく安堵の笑みを浮かb…
ガラガラガラ。
「お待たせしましたなのです」
「いやァ失礼!今日は屋台の方が賑やかでしてねェ」
アルゴ先生が来た、のはわかるが、なんか余計なのいる。同期のクソ眼鏡ことジオだ。なんでまた音楽室で会うんだ。そして出店なんてやってたんだ。
何売ってんの?爆薬?
「ジオさん、お疲れ様です」
いやいやいやいやお疲れ様ですじゃない。用のないはずのドールを普通に迎え入れるな。
「そういえば、まだ伝えていなかったね。カガリくんがいない間に、ジオくんも参加することになったよ」
「うそだぁ」
ククツミセンパイの爆弾発言にへなへなと崩れ落ちる。 参加?歌うの?あの失敗したカウンターテナーで?いやそれとも……
「おやガリさん、随分と久々に見ましたがァ……まァだ生きてらっしゃったのでェ?」
「ころすな」
ジオは至って通常運転である。いつもの声量で言い返せないのがすこぶる悔しい。というか何でピンピンしてんの?コイツも一か月間散々だったはずなのに…いやそれよりも今一番気になるのは
「なんでオジさんが混じってんの?許可してないんだけど」
「まあそう言わないでくださいなのです」
ジオが応える前にアルゴ先生がなだめるようにボクに進み寄る。
「ジオくんはピアノがものすごく上手なのですよ~!」
「は!?」
という会話のやりとりをしている間にジオはしれっと椅子に腰かけ、慣れた手つきでピアノの蓋を開け、両手を鍵盤の上に乗せる。いつもは白衣に半分ほど隠れている長い指が露わになり、白と黒の舞台の上を踊る。
「これも実験ですよォ」
“ド” “ミ” ”ソ” の和音が心地よく響く。
「何故、音を聴くだけで『喜び』や」
“ラ” “ド” “ミ”の和音が寂しそうに響く。
「『悲しみ』と結びつくのかァ……興味がありましてねェ」
動機が彼らしいのも、なんか無駄に弾き慣れてるのも物凄く腹が立つ。
…元々、ピアノはアイラが担当するはずだった。が、客席に目線を送りつつ動きながら歌う方が合っていたようで、ピアニカを担当することになったのだ。
「面白そう!確かに聴く曲によってノリたくなったり、泣きたくなったりするの…あれ何でだろうね?」
そんなアイラは、何故だかひと一倍、音楽と感情の密接な関わりについて知りたそうだった。
「ジオさんのピアノは低音域もしっかり支えてくれますから、私も心置きなくドラムが叩けます」
「だいたいの伴奏はジオ君がやってくれるから、歌に集中できるようになったよ!」
ロベルト、アイラが口々にジオをベタ褒めする。何これ地獄?
「あ、そうそう。だからあんたとアルゴ先生のパート、ちょっとアイラちゃんにあげたから」
「オレちゃんのカオに免じて勘弁して欲しいとお願いしたなのですが、とられちゃったなのですよ」
「ついでにあたしも少し貰ったから」
「待って待って、誰そんなこと言い出したの」
わたわたしながらリツとアルゴ先生に抗議する。
「はい」
手を挙げたのはシャロンだ。
「だって折角皆で作るステージなのに殆どカガリちゃんとアルゴさんがマイク独占状態だったから。 公平性を考えたら、ねえ?」
目を閉じ、そうそうと言うように二回頷くククツミセンパイ。
「そうした方が、みんなで主役っぽいと思うから。ね?」
「うぅ~~~~…しゅやくはボクなのにぃ……」
…長く休んでいればこんなことも起きるか。
「…ま、いっか」
以前のボクなら間違いなくだだをこねただろうが、今日はふくれっ面だけにとどめ、しぶしぶ受け入れる。
「声が出ないと聞いて少しは静かで大人しくなったかと思っていたのですがァ…………やれやれ、結局あまりいつもと変わらないじゃないですかァ」
「い゛~~~~!!!!」
…コイツが混ざったこと『以外』を!!!
…とはいえ、これでやっと日常と再会したような気がした。
さあ、忙しいのはここからだ。ここからがはじまりだ。…完全燃焼できる最高のステージをつくろう。
なかまたちと一緒に。
Diary026「オーバーチュア」
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