――話せなくていい。海まで来て。来なかったら…ステージには上がらせないから――
一昨日ボクの部屋を訪れたドールのひとり、リツが念話を寄越してきた。あれだけ好待遇で追い払ったのにまだ懲りないらしい。
ボクは誘いに乗ることにした。何としてもステージに上がるため?居場所を奪われないため? ……いまはそんなこと、どうでもよくなりかけていた。 このまま本番を迎えたとして、歌えないボクなんて用済みだ。それでもわざわざ「来なかったらステージに上がらせない」と伝えてくるのは……まだ、希望を捨てていないのだろうか、彼女は。……ボクは殆ど諦めかけていたのに…それが何だか悔しかった。それに…海は思い入れのある場所だ。行けばひょっとすると何か変わるかもしれないと…そんな根拠のない期待を描いたりしながら、ボクは身支度を始める。
*
海までの道のりはかなり長いけど、ずっと部屋に籠り切りだったからまぁまぁいい運動になる。 最初は途中で休憩しないと持たなかったけど、何度も何度も訪れているのでいい加減この距離を歩くのは慣れた。 ただ……道中、鼻歌を歌えないのが不便だ。出るのは鼻息だけ。
…ひゅー。
口の形を変え、どうにか吐息に音程をつけられないか試行錯誤していたら、弱い風の音に似た、情けない口笛が鳴った。はっきり言って上手いとは言えない。他のドールに聞かれたら笑われるだろうな。
コアを渡した日、ボクとあのドールはどんな道のりを歩いたんだろう。 『いなくなって欲しくないドールだから』と彼女はボクを選んだらしいけど、果たして今でも同じことを思っているのだろうか。生徒が公開処刑を目の当たりにして楽しそうに笑っていたこと、一般生徒ドールを惨殺したことを知ったら、失望するだろうか。ボクがこんなみっともない状態になった原因を知った彼女は「自業自得」という言葉を吐き捨てるだろうか。 …余計なことばかり考えてしまう。 これから会いに行くのは別のドールだというのに。
*
箱庭の海はとても広いが、リツを見つけるまでは殆ど時間がかからなかった。リツはボクがどちらの方向から来るか予測していたかのように、こちらをまっすぐ睨んでいる。
「…何でそうなってるかなんて、あたしにはわからない、知るつもりもない」
ふたりが向かい合った矢先、リツが話し始める。
「…でも、ツケが回ったんだと思う」
ツケ、か…。そう言われれば、そうかも知れない。
「あのラーメンバカといいあんたといい…勝手で、横暴で。
自分だけ目立てばそれでよくて、優しいドールに迷惑ばっかかけて。何か足りない、これはどうする?て聞いても、『いい感じに何とかして』だし。
パート分けだって…自分以外みんな脇役だと思ってやってるよね」
その通りだ。当たり前のことだ。自分の生涯の主役は自分自身だろう。 妥協と自己犠牲に身を投じてばかりでは損をするだけだ。ボクはそんな風に生きたくはない。 …リツがそれを快く思わないのも理解できる。彼女や他のドールもまた、彼女の生涯という舞台においての主役なのだから、舞台の中心をボクやアルゴ先生に奪われるのが納得いかないのだろう。
「この間だって相談もせずアンタひとりだけで放送録って。折角伴奏してくれたアイラちゃんの紹介もしない。ひとの苦労どれだけ蔑ろにしたら気が済むの!?」
お昼の放送で聞いてもらうための歌を録音したとき、ピアニカで伴奏してくれたアイラはその状況を笑顔で受け入れてくれた。納得できないならその場で言えばいいだけの話。 ボクは正しい。ボクが正しいはずだ。なのに…あまり腹立たしくならない。
「…喋れなくたって反論できるよね」
リツが片手で握りこぶしを作り、もう片方の手でそれを指差し、物理で反論してこいと促す。 …ボクをステージから引きずり下ろし、主役の座を奪おうというなら受けて立つ。 …と闘志を燃やす元気があればこのタイミングで一発くれてやったんだけど、どうもその気になれない。 久々に歩いたから、疲れたのだろうか。
「…へぇ?ってことは認めるんだ。あんたがライブを台無しにしてるって」
台無し、か。そう言われれば、そうかも知れない。 以前と違い、怒りが全く湧いてこない。どんな表情を描けばいいかわからない。ボクは何がしたいんだろう。
「…そもそも…あんたっていつも距離感お構いなしにグイグイ来るし…」
逆にリツの怒りはこれだけではおさまらなかったようで、ライブに関係ないことまでボクに当たりちらしはじめた。散々悪く言われているのに『それがボクの本質』と思いながらも、言い返す気は起きなかった。それどころか、このドールが遠慮なく真正面からぶつかってきてくれることに、決闘の時のような興奮さえ覚えた。
「平気でナイフ向けるし、前々からやべー奴だと思ってたんだよ!」
少しずつ声に憎しみがこもり、クレッシェンドしていくリツの話をもっと聞きたいと思った。 だからボクはおもむろにナイフを取り出す。 …別に今日、リツを刺そうとして持ってきたわけではない。ペンケースにペンを入れて持ち歩くような感覚で、出かける時はなんとなくいつもポケットに忍ばせている。だから先月一般生徒ドールを殺害した日も、『その機会』を逃さなかった。
「ガチで出すな!そういうとこ!」
流石に本当に獲物を見せつけてくるとは思わなかったのか、リツがやや動揺する。それはそれで面白かったので、ボクは少しだけ満足げに凶器をしまう。
「ほんっと馬鹿にしてる…!」
結果的にリツの神経を更に逆撫でしたようだ。
「…何より許せないのは、メロディアちゃんの事」
遂に彼女の名前まで出してきた。メロディアとは、リツが想いを寄せているドールだ。 わかりやすいぐらいに彼女を目で追いかけているリツが、恥ずかしがってそれ以上先に進もうとしなかったのがつまらなかったので、実はメロディアに気があるだの、部活も委員会も一緒だからずっと一緒にいられるだの、あることないこと吹き込んで『恋敵役」を買って出たのだ。 そういえばもうあれから2か月ぐらい経つか。その後どうなったんだろう。 色んなことがあって、そこまで恋敵っぽい立ち回りができなかったな……
「グロウ先生がいなくなった時…あからさまに落ち込んでた。あんた一瞬でもメロディアちゃんの傍にいてあげた? ハートを摑むとか言っときながら、少しでもあの子の役に立とうとした?」
ほう、そんなことがあったんだ知らなかった。決して音にはならない心の中の台詞が、顔には出ていたようだ。
「…その顔ムカつくんだよさっきから!」
頬を殴られた。
そこそこ本気だった。
その場でよろけるもすぐに向き直る。 その口ぶりだとリツはきっとメロディアを慰めに行動を起こしたのだろう。何もできていなければボクにこんなことを聞いてはこないはず。
「あんた本当にあの子のこと好き?」
と聞きかけたリツが、撤回するように首を振る。
「…好きだったとしても…それは本当の『好き』じゃないよね。 どうせ『都合の良いドール』ぐらいにしか思ってないんでしょ?」
確かに、リツをからかうには都合の良いドールかも知れない。 でも、ボクとメロディアは友達にすら関係が発展していないどころか会話すらあまり交わす機会がないのに、一応『好き』という設定は継続しているのか。…ひとまず肯定も否定もせずリツの次の言葉を待つ。
「でもあたしは違う!」
リツの目は真剣だ。
「あたしはメロディアちゃんを誰よりも好きで…」
『誰よりも』好き。自分の想いを隠したがっていたドールが、なんの躊躇もなくこう言う。
「独り占めしたいとか、身勝手な感情はあるよ。でもあんたのそれとは違う」
独占的な感情さえも、堂々とむき出しにしている。
「あたしはあの子に誰よりも幸せになって欲しい…誰よりも幸せにしたい…そのためにあたしが傷ついたっていい。あの子はそれを望まないけど…あたしにはそのくらい覚悟してる」
彼女が幸せなら自分の想いなど伝わらなくても構わないと言っていたドールが、他でもなく自分の手で彼女を幸せにすることを望んでいる。
「彼女の全てを手に入れたい」「彼女の幸せを一番に守りたい」…二色の、どちらも強い想いが、その赤と青の瞳に投影されているようだった。
「…あたしは…あんたにだけは絶対に負けるか!!」
勇ましかった。こんなドールの愛を一身に受けられるメロディアが羨ましいとさえ思った。ほんの一瞬だけね。 自分の恋物語の舞台の中心にしっかりと立つリツを見て、笑顔にならずにはいられなかった。
「ッ…なに笑ってんだよ!」
また殴られた。手が出るほどに顔がほころんでいただろうか。 どうして今、こんなに楽しいんだろう。わからない。わからないけど… 楽しいので、特に理由もなくリツの頬を殴り返した。
「!やっとやる気になった!?」
痛みに顔をしかめるが、ひるまずに反撃するリツ。 ボクはそれに応えるようにもう一度殴る。
「だーッ!へらへらすんな!」
暫くふたりは殴り合い、それがエスカレートして掴み合い、取っ組み合った。 敵意を向けられているのに、なぜだか体が軽い。 声を失った状態で、ここまで楽しい気持ちになれる日が来るなんて。 髪も服も砂まみれになってもお構いなし。この現場をぐるぐる眼鏡のドールに見られでもしたら間違いなく『ガリさん』ではなく『ジャリさん』と呼ばれてしまうだろう…
*
やがてふたりとも疲れ果て、砂の上に寝ころんだ。 小さな星屑が夜空に散りばめられているのが見える。あそこで寝転がったら、体は星屑まみれになるだろうか。
「や……あんた元気じゃん……こっわ……」
息が上がっているせいかリツの声がやや裏返っているが、この空のようにどこかすっきりとした音色も混じっている。 こちらも息を切らしながら笑う。良い汗をかいたからか、体が少し軽く感じる。
「……はぁ、調子狂う……」
お互いに乱れた呼吸をととのえる。その間奏を波の音が繋ぐ。
「……まさかとは思うけどさ。全部芝居ってことないよね」
暫くして、リツが訝し気な顔を向けた。
「…あんたがメロディアちゃんの事好きだって話」
ボクは「おっ」の口をする。
「先越されたくないって気持ちが強くて見えてなかったけど… そういやメロディアちゃんから、あたしが見てないとこであんたと何か進展したなんて聞かなかったし…あの子とふたりになれるはずの委員会も部活も、サボってるんだって?」
リツがボクの部屋に押しかけたことも、殴ってきたことも全て海に流すとしても、これだけは言っておかなくてはいけない。
ドンカンだなぁ、リッちゃん。
「…やっぱそうなの!?あれ面白がってやってただけ!?」
ニヤニヤ顔を全く我慢できないボクを見てリツが遂に全てを察した。
ドンカンだなぁ、リッちゃん。(二回目)
「こいッッつ!」
第二ラウンドをおっぱじめんばかりにがばっと起き上がるも、思いとどまったらしく不機嫌そうに咳払いをする。
「……早く、さ。治しなよ、声」
ボクから目を逸らしたリツから返ってきたのは、意外な一言だった。
『歌うのは無理じゃん』 『メーワクなんだよ、あんたがいると』
『ひとの苦労どれだけ蔑ろにしたら気が済むの!?』 間違っていないのに。この言葉を吐き捨てるに値するような振舞いをボクは続けてきたのに。 あまつさえ都合の良いオモチャとして、偽りの台本までつくって巻き込んだのに。
どうして。
…治したい。ボクだって、治したいよ。 声を奪われちゃ、もう楽しいことを探すにも限界があるよ。
思わずそんな気持ちを吐き出してしまわないようあと一歩のところで踏みとどまり、身体を起こす。
治したい、治りたい。 そう頭に言い聞かせながらボクはうんうんと頷いた。
「じゃないとあんたのパート全部あたしが歌うから!」
相手は相変わらず意地悪なひとことを投げかけるのだが、怒気の音色は消え失せているようだったので、喉元まで押し寄せていた不安には一旦目を瞑り、わざとらしいふくれっ面を繕いながらじゃれるように抵抗する。
「あっバカ暴れんな!!」
するとリツはボクを強引に引きはがして立ち上がる。
「あんたの言葉で集まったんだからさ…みんな待ってんだよ」
彼女は気遣いや建前でこんなことを口走るドールではない。 どこか悔しそうに拳を握りしめる様子からも、嘘をついていないことは十分に伝わってくる。 でも…後悔はないにしろ、ボクは大概皆にとっては身勝手と映る行動をとってきたのをリツも十分わかっているはずだ。ボクやアルゴ先生が放り投げた仕事をさばくドールをよく手伝っているという話も聞いていた。彼女の言葉通り『台無しにした』。 それなのに……
「ほんっとーに!不本意だけどあんたがセンターじゃないとアレは完成しないんだ…」
…それなのに……まだ皆が待っていてくれるなんて、都合がよすぎる。
「だから」
リツは握り拳をゆっくりと開く。
「立てよカガリ」
そして、それをボクに差し出した。
切り捨ててしまえば、厄介払いをしてしまえば楽なのに。
それでも彼女は、手を差し伸べる。
それでも皆は、待っていると言う。
そもそもどうして皆は集まってくれたんだっけ?
ボクの……ボクなんかの言葉で。
どうしてボクは、フィナーレライブをやりたいと言い出したんだっけ。
『オレはね、グロウをこんな目に遭わせた素晴らし~い楽園を、もっともっと素晴らし~い楽園にしたいと思ってます、なのです』
そうだ。
アルゴ先生と約束したんだ。受け入れられないと思っていたボクの価値観を、認めてくれた先生と。
『あのね、もうすぐ学園祭でしょ。ボク…フィナーレでライブステージやりたいんだ。そこで、この楽園をたたえる歌をおもいっきり歌ってやるの!』
『もちろんそれで何かがどうかなるわけじゃない。でも…歌を聞いて、共感したドールが集まってくれたら、もっともっと燃えるコト、できると思わない!?』
『あっはは!名案なのです!その歌を聴いたセンセーとドールの顔、ステージ上から拝みたいなのですよ~!』
『やったー!!やろやろ!絶対やろ!!』
『素晴らしい楽園』を讃える。そんな夢のようなステージをボク自身が台無しにしてどうする。
ガーデンをぶっ壊すような大きなことに繋げられるかも知れないのに、ボクがぶっ壊れてどうする。
たかがちょっと声が出なくなったぐらいで怖気づいてどうする。
そして…ボクが中心に動いていると知っていて、手を貸してくれたドール達。
一緒に歌いたい。
役に立ちたい。
負けられない。
様々な想いを胸に、集まったドール達。
今でもその想いが一片でも残っているなら…本当にみんながボクのことを待っているなら…
ボクが背を向けてどうする。
すぐに歌えなくたって、ボクが声をあげて号令をかけなきゃいけない。
『治したい』『歌いたい』そんな生ぬるいようではダメだ。
燃えろ、もっと熱く燃えろ。足掻け。
治す。絶対に治す。
声を取り戻す。
どうやって? どうすれば?
方法がわからなくても、まず立ち上がらなければ何も始まらない。
ボクはかみしめるように、リツの手を取った。
Diary022「蛍火を呼ぶ旋律」
PR