7月21日
また、学校のグラウンド。
学園祭で使われるステージよりも少しサイズの大きい舞台で
みんながボクを待っている。
楽しい音楽が聞こえる。
「この歌」の結末も知っている。
パチパチパチ。
拍手がボクを迎えてくれる。
あと二回、これを繰り返せば。
けれどもう疲れた。
何もしたくない。
あれだけ拒んでいた静寂が、タイクツが、今は恋しい。
……いっそ動かないでいよう。
夢にさえ抗おう。
ボクは優等生じゃないんだから。
「カガリちゃん」
「カガリさん」
「カガリくん」
暖かい声。 優しい笑顔。
こんな夢をボクはずっと求めていた。
もしかしたら、夢だけでなく……
「もう、怖いことなんてないんだよ」
「あんたがセンターに立たないでどうすんの?」
「ずっと一緒に歌いたかったんだ、カガリちゃんと!」
やめて。
「誰かが傷つくなんてあり得ません」
「ここは楽園なんだから」
やめて。やめて。
誘わないで。
ボクの記憶に入り込んで、
知っているあのコたちの声で、姿で
「うたえ」
ボクのすぐ後ろから とても、
とても聞き覚えのある声がした。
「タイクツなんだ」
すきとおる羽、じまんのツノ、うつくしい紫と赤の目をした
「ふしぎなことがぜんぶわかってしまって、つまらないんだ」
ボクが唯一「ともだち」と呼んでいる存在……
「いけよカガリ、ともだちがまってるぞ」
…と同じ色の服を纏って、ボクが普段そうするように『彼』の声を演じている …ボクだ。
声の主は ボクが抵抗する間もなく そこが最初から自分の帰る場所であったかのように ボクを両腕で包むようにしながら、 消えた。
ああ。ああ。ああ。
ダメだ。抗えない。
壊したい。
タイクツを、壊したい。
センターに立つ。
楽しい、ああ、楽しい。
楽しくて、楽しくて、思わず歌ってしまうほどに。
ボクは夢中で歌った。
なんて自由なんだろう。
歌う 歌う 歌う
燃えている、ああ、ボクは、燃えている。
たのしいね
たのしいね
周りのドール達が歌に加わっていく。
歌声が 歌声が
……
……
……
……
わかってた。 これは歌声じゃない。
あのコが あのコが あのコが
あのコが 悲鳴をあげて
苦しんで 倒れて。
わかっていたのに。
わかっていたのに。
わかってる。
わかってる。
ボクが ボクが壊した。
ボクがころした。
おまえがころした。
おまえのせいだ。
腹立たしい。
どうして。
こんなはずじゃなかった。
これは悪夢だ。
作り話だ。
目を開く。
ほら、やっぱり夢じゃないか。
いや、でも。
夢の外でも、ボクはドールを壊している。
慈悲深いドールを、容赦なく刺している。
楽しみながら、誰かを傷つけている。
他ドールの悲鳴を聞いて喜んでいる。
これがボクの本質。
どんなに「いいこ」のふりをしようと 逃れようがない。
……逃れようが…なかったか?
入学して初めてドールの廃棄処分を見て、
本当に玩具が壊れただけだと思ったか?
思い出の断片が生まれつつあるドールにナイフを向けた時、
刺したか?
悲鳴をあげたドールが突然いなくなった時、
本当に何も思わなかったか?
ボクは… ボクは…… ボクは………
*
7月22日
今日で一か月。ちょうど一か月だ。
あと一日耐えれば、ボクの日常が帰ってくる。全てが元通りになる。
もういっそ、起きていようか………
………そんな元気はなかった。
三度目のグラウンド。
三度目の楽しい音楽。
三度目の拍手。
ボクは目を逸らした。
逸らした先で、同じステージが構築された。
ボクは耳を塞いだ。
耳の中から誘惑が囁きかけた。
ボクは走って逃げようとした。
立っているはずなのに、「ベッドに寝ているのだから動けないだろう」と体が訴えてくる。
ボクは無理やり目を覚まそうとした。 すると、
ボクはステージの真ん中に立っていた。
ステージを、ドール達が囲んでいる。
皆が期待に胸を膨らませてボクを見ている。
歌いたい。
ボクを選んでくれたドールと、大好きだった彼を忘れられないドールが、仲良く手を振っている。
歌いたい。
儚い秋のようなドールと、彼女を愛するドールが、幸せそうに微笑んでいる。
歌いたい。
燃えるような愛を箱庭に振りまいているふたりが、いつも通り肩を寄せ合っている。
歌いたい。
あのドールが、珍しく飾らない瞳をボクに向けている。
歌いたい。
みんな、みんな、幸せそうだ。
歌いたい。 歌いたい、歌いたい、歌いたい。
でも、歌ってしまったら この幸せが全部壊れてしまう。
壊したくない。
だめ。歌わないで。
壊したくない。
歌ったらいけない。
手で口を覆う。
歌うな、歌うな、歌うな
…手の中で、勝手にハミングが始まる。
「…カガリ…ちゃん……なんで……」
ドールがひとり、苦しみはじめる。
両手で自分の首を押さえつける。
歌うな、歌うな、歌うな。
…掠れた声が、力の限り音階を奏でる。
「痛いよ……痛い……」
ひとり、またひとり苦しみはじめる。
――ああ、よかった
下を向いて、息を止める。声が出ないように。
歌うな、歌うな、歌うな、歌うな、
…耐えきれず吐き出した息が、歌となる。
「なんでまた……をこんな目に遭わせるんだ!
……は、もう十分苦しんだのに!!!」
またひとり、またひとり苦しみはじめる。
苦しんでいないドールは、声を荒げる。
――ボクにも、できるんだ
自分の喉をナイフで刺す。何度も、何度も刺す。
夢とは思えないほどの痛みが襲う。
歌うな、歌うな、歌うな、歌うな、歌うな、歌うな、歌うな、歌うな、
でも、これはボクが都合よく操れる物語じゃない。
痛みに悶える叫びが、旋律へと書き換わる。
「………最低だよ お前は………」
苦しんだドールが仕舞にはバタリ、バタリと倒れる。
――できたんだ
歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな
――壊したくないと、願うこと
歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな歌うな
『壊したくないの?』
たったひとりだけ生き残ったドールが、話しかけてきた。
『ボク』だ。 制服を着た『ボク』が、にっこりと笑い、小首を傾げながらボクを見ている。
『元に戻したいの?』
息も絶え絶えで喋ることができず、ボクは頷いた。
『できるよ』
『ボク』は言った。
『ただし、きみのたいせつなものをよっつもらうよ それでもいいかい?』
読んだことのある話の結末だ。 大事な友達を蘇らせたいと願った主人公に、後ろ足で立つ不思議な生き物がこう言うのだ。 あの生き物はなんと呼ばれていたっけ、確か……
……それにしても、4つ?
ボクは、あげられるものを4つも持っていたっけ?
頭のなかでそんな言葉を思い描いたとき
『もっているよ。じぶんのすがたをみてごらん』
ボクは、首から流れ出てつくられた紅い水たまりに映る自分の姿を確かめた。
草木のような色の、変わった形の羽。
紫と赤の瞳と。紫色の自慢のツノ。
なぁんだ、すっかりわすれてた。
ボクには すきとおるはねと、じまんのツノと、うつくしいめがあるじゃないか。
…でも、あとひとつは?
『あと、ひとつは』
目の前の生き物が突然姿を変えた。
怪物だ。
花のような姿で、長い二本の腕の先に太く、鋭い爪。
怪物はボクめがけて突っ込んできた。
ボクはこいつと前に一度戦ったことがある。
この怪物は………
…… 『かみさま』だ………
*
朝だ。
重い瞼を陽の光が擽る。布団がぽかぽかと香る。
あれから何があったのかはよく覚えていないけど、どうでもいい。
悪夢が、終わったのだ。
ドロシーの部屋で寝泊まりした次の日から、誰とも会っていなかった。
会ったその日の出来事をすかさず悪夢に変えられるのが嫌だったから。
久々に下のたまり場に行ってみよう。
二階まで歩を進めたところで、ちょうど部屋から出てくるドールを発見した。 葡萄色の髪の毛に、夕方と夜が描かれた羽のドール、アザミだ。 彼女に声をかけよう。ボクの『いつも通り』が、こうしてまた戻ってくる。
「アザミんおはよ」
と言おうとした瞬間だった。
グラウンドで苦しみ、血を流し、倒れるあの夢の光景が、警告するように早回しでちらついたかと思えば、喉の奥についているドアが、音を立てて閉まるような感覚に陥る。
「……? カガリさん。今日はやけにおとなしいですね」
まだ恐怖が抜け切れていなかったのだろうか。所詮は夢なのに、ばかばかしい。 気を取り直してもう一度アザミに挨拶をする。
「 」
「どうしたんですか? 何か言いたいことでも……」
まるで話そうとするたびに、途中まで口を動かしたあたりで体が空気のない場所へ放り込まれるようだ。
何度やっても、何度やっても。
アザミが浮かべていた柔らかい表情が、徐々に険しいものになる。
「……カガリさん。あなた、まさか……」
アザミも今、悪夢に苦しんでいるはずだ。
こんな顔にさせたくてここへ来たんじゃない。
まずは冷静に、冷静になろう。踵を返して自室に戻り、鍵をしっかりとかける。
終わったんだ。もう怖がる必要なんてないんだ。楽しいことが沢山待っているんだ。 必死にそう言い聞かせ、なんでもいいから言葉を紡ごうとする。
アイウエオ
「 」
おはよう
「 」
ボクはカガリ
「 」
……声が出せない。
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