ボクは初めて屋上に来た。
ガーデンの外のエリアには何度も足を運んでいるが、屋上は他の場所よりも少しだけ、太陽が近くにあるような気がした。…それは、ボクの隣にいるドールのお陰かも知れないけれど。
「……ここには、慣れてきた?」
「はい!お陰様で学園生活楽しんでます、ククツミセンパイ!」
入学してからせいぜい1か月ぐらい経った後に聞こえてきそうなセンパイとコーハイの会話を、 ボクらは出会って4か月後に交わしている。 もうとっくに何期生だの上下関係だのの肩書きなんて気にすることをやめてしまったんだけど…久々に、当時の空気に浸りたくなったから。 ふわりと笑い、おっとりしたイメージのククツミというドール。
ガーデンで一番最初に名前を覚え、まだ寮の部屋が決まっていないボクに、自分の部屋を一晩だけあてがってくれた。雰囲気や声はどこか安心できる「温度」があったから、いつだったか「ひだまりみたいだ」と伝えたことがある。 そのククツミがいつの間にか、別人になった。ひだまりというよりは、それを探しているような…光の届かない場所では簡単に壊れてしまうような…「頼れる先輩」とは程遠い印象だった。
最初は何か嫌なことがあってそうなってしまったのだと考えていたけど、ガーデンについて学んでいくうちに、これは寮生のドールなら誰もが埋め込まれている『人格コア』を別のものと入れ替えた時に発生する現象だと知った。なんでそんな事をしなくちゃいけないかは…これ以上説明が長くなるのが面倒なので最終ミッションについて書かれている皆の報告書を読んでほしい。
……で、そんなククツミの「元の人格」が突然戻ってきた。 今朝、朝食を求めてリビングへ降り、キッチンでトーストの準備をしていたククツミは……以前会った時とは全く違う装いだった。本来なら「雰囲気違うね、めっちゃ似合ってるよ」で会話が終わるはずだったが…直後、装いどころか中身も変わっていることに気が付く。
最近同じように『いなくなったはずのドールが戻ってきた』場面に遭遇したが、その時のような『見かけだおし』でなく、今度はちゃんと声も人格も……戻ってきている。
ひとまず朝食を頬張り、洗いざらい吐いてもらうために『校内見学の続き』と称してボクはククツミを屋上へと誘ったのだった。
「……そっか、よかった」
ボクを見て愛しむようにククツミは言う。
「私の記憶は、雪景色で止まってるからねぇ」
「…それ…おかしくない?」
ククツミがボクが得ていた知識とは違うことを言い出したので、センパイごっこは終了。 人格コアが入れ替わると確かに別人にはなる…が、名前と記憶は引き継がれる。覚えていないのはコアを取られたその日一日のできごとだけ。…でもククツミは、雪景色…つまりどんなに遅くても3月までの記憶しかないという。…単にボクが間違って覚えてしまっていたんだろうか?
「……あぁ。人格コアのこと、記憶のことも、もうそこまで知ってるんだ」
疑問をそのままぶつけてみたところ、こんな反応をするククツミ。 ちょっと見ない間に後輩は立派に成長しました!なんて言葉を思いついたけど… 今現在悪夢を見ているボクは「立派」とはいえないので、そっと吞み込んだ。
「……ふふ。カガリくんを演技で騙せてたのなら、私も演劇部に入れたかもね?」
まるで悪戯が成功したようにくすり、と笑ってククツミが話し始める。
「しばらくは私のフリをしてたみたいだよ、この前までの私は。気づかなかった?」
「…へ、…フリ?」
ただでさえ追いついていない頭に、また爆弾を叩きこまれるようだった。 コアが入れ替わっていることに気づくもっと前から、『あっちのククツミ』は『こっちのククツミ』になりすましていたってこと…?
「……フリ!?うそ!?こわ!!!え!???気づかなかった!いつから入れ替わってたの!?」
「あの子の日記が始まっていたのが2月の25日だったから、その時からだね?カガリくんの歓迎パーティがあった日、から」
あの日のことはよく覚えている。 だって、ボクだけの、ボクのための歓迎会がもうひとりの
侵入生(敢えてこう書く)によって台無しにされてしまったり、マギアビースト討伐初出撃をしたり…と、本当に濃い一日だったから… …っていうことは、一緒に魔物のキーホルダーの名前を決めてくれたのも、『かみさま』のマギアビーストが現れた後、ボクにバンクとコッペで遊ばせてくれたのも……『あっちのククツミ』だった、ということになる……?
「え~~~!!嘘~~~!!!そんな前からなの!?」
でも……思い当たる節はあった…かもしれない。
「…あ~~…んん……そう言われてみれば……」
話の節々でほんの少しだけ『あっちのククツミ』の喋り方が見え隠れしていたような。 当時はククツミのことをよく知らなかったから「そういう一面もあるんだ」ぐらいにしか思わなかったけれど……そうか、その時から……
「んん…でも…フリをしてたククツミちゃんの気持ちもわかるかも。だって…ある日突然性格が変わっちゃうって、…しょ~~じき慣れないもん。 そのドール本人じゃなくて…そっくりさんと話してる感じ…」
その後も2回ほど、人格が一新されたドールと対峙したけど……同じ名前や見た目のまま突然話した印象だけが変わってしまう(名前ごと変わってしまったこともある!)のには未だに慣れない。
「そうだねぇ。記憶はあるのに、自分がなんで過去にそう行動していたのか理解できなくて。……でも、みんなが今まで見ていた自分はそれで……ってね」
そういえば、新しい人格になったドールと「コアを入れ替えられたこと」に関して話したことがなかったから、彼らがどんな気持ちで「そのドールとしての生活」を送っているのかあまり想像ができなかった。 中にはやや苦笑いを浮かべながら「今はこういう感じなので、そういうものだと思ってほしい」と言ってきたドールもいた。その時ボクは既に人格コアの仕組みについて理解していたから「ちょっと慣れない」程度で済んだけど、何もわかっていないうちに彼を見たら…もっと困らせていたかも知れない。
「……きっと、自分のことも周りの子のことも考えて……すごく、悩んだんだろうね」
言葉の重みとは裏腹に、そよぐ風の心地よさに目を細めるククツミ。
「こればっかりは、ボクもいっぺんコアを一新させないとわっかんないかもなぁ…」
「ふふ、そんなにみんなの性格が目まぐるしく変わったら、大変なことになっちゃうね」
『入れ替えられた側』の話をこれ以上しても仕方がないので、冗談っぽい言葉に溜息を添えて、一旦この話題を打ち切る。
「……でもヘンだね。今のククツミちゃんは…『入れ替わってから』のこと、ぜんぜん覚えてないんでしょ?」
話を「人格が戻る前の記憶が一切ない、こっちのククツミ」へ戻す。
「そうだね。あの子のコアはなくなって……本来であれば、全部の記憶を持ったうえで、また人格の違うククツミがここにいるはずだったよ」
更に人格の違うククツミ…どんな感じだろう。想像してみると楽しそうな一方で、また違和感を拭うところから始めなきゃいけないのは厄介なので勘弁してくれという気持ちが交差する。
「けど、レオくんが。以前壊れたはずの私のコアを、取り戻したいと願ったんだって。……とても大きな代償を、支払ってまで」
手を開いたり閉じたりしながら、ククツミは言った。自分が今存在していることを確かめているのだろうか。レオはボクと同じ五期生のドールで、『日頃ククツミのことしか頭にないドール』と認識してる。こう書くと、ここで彼の名前が出るのはごく自然のように思えるが、ボクの中では腑に落ちなかった。 お陰で『代償』の話はあまり頭に入らなかった。
「……本当は、あり得ないことなんだろうね。一度壊れて『入れ替わってから』の記憶は、い戻ってきた私には無いよ。……この4ヶ月のスキマは……少しだけ、寂しいと思うかな」
記憶にぽっかりと穴が空いているという現象にはボクにも覚えがある。でも…たった一日だけだ。 寝て起きたら、4か月の時間が流れているなんてイメージするのは容易ではなかった。
「……この前までいたククツミちゃん……カンペキに…いなくなっちゃったってことになんのかな」
元々の人格だった『こっちのククツミ』が戻ってきたのはいいが、では…『あっちのククツミ』は? 最初は…いや、正確に言うと「最初」ではなかったけど…自分の身に起きたことと向き合えず、それでも少しずつ笑顔を育んでいって…つい数日前、すべてをその目で見て…それでもあのコは…ひとりではなかった。一緒に歩いてくれる仲間がいた。だからきっとあのコは前に進めるはずだと思ってたのに…あのコは今、どこにいるの…?
「……いないねぇ」
ククツミが胸に手を当てる。
「…………どこにも、いないね」
そして、目を瞑る。 きっと心の奥まで『あのコ』を探して……見つけたのは、休符だけだったのだろう。 とても簡潔で、あっけない応えが返ってきた。
「……『ククツミちゃん』はここにいるけど……『あのコ』は……死んだって…ことだよね」
ボクは適当な場所に腰かけ、地面と足で三角形をつくり、自分の手元を意味もなくじーっと見つめながら、少しずつ頭のなかを整理する。
「……そうだね。あの子が、終わりを願ったから」
ククツミがボクの隣に足を伸ばして座る。
『終わりを願った』……どういうことなんだろう。
「あんな惨劇があったとしても……好きだったんだって。だから自分ごと、想いを終わらせたかったんだってさ。……あの日のこと、カガリくんも見ていたらしいね?」
「……」
ボクは黙りこくってしまった。 …あのコが、あのコが好きだったドールとの間に起きたことすべてを目に焼き付けた日、ボクも全く同じ映像を見た。公開処刑のシーンを喜んで台本に書くボクであれ、あれがハッピーエンドかと聞かれれば全力で首を横に振れる。はっきり言ってあの舞台のククツミは行き過ぎた愛に滅ぼされた被害者だった。 でも、それはあくまで過去のできごと。映像が終わった後のあのコの周りには、あのコを守り、手を差し伸べようとするドールが周りにいたはず。それなのに尚も、こんなやり方でしか『想い』を終わらせることができなかったなんて。…理解できない。
「…な~んか勿体ないね、それ」
とはいえ、隣にいるククツミを責めてもしょうがないので、う~んと伸びをしながらあまり何も考えていないように装い、ボクは言う。
「多分『あのコ』を大事に思ってたのって、れおれおだけじゃないと思うんだけど」
友情や愛情なんかとは無縁なボクの目には、そんな風に映ってた。 「……ふふ、勿体ない、かぁ」 ククツミはその様子を受け入れつつ
「……そうだね。昨日もあの子のために、泣いてくれる子が居たよ。……みんな、大事に思ってくれていたのにね」
と続ける。
「カガリくんも……もっと、あの子と一緒に居たかったと思ってる?」
「ん~……」
ボクは『あのコ』と、腹を割ってじっくり話したことは一度もない。一緒に遊びに行ったことも、ご飯をゆっくり食べたことも…一度、強引に連れ出そうとしたことはあったけど、あのコと同期の…恐らくボクよりもっとあのコを理解しているであろうドールに止められて以来、積極的にその後の動向を知ろうとはしなかった…でも、結果として普段の生活の中で、偶然か必然か、彼女が少しずつ変化していく様子(良い意味での変化だから成長と書くべきか)を断片的にではあるけど、目撃することになった。 だからこそ……
「……あのコに燃えるコトが待ってるのは、寧ろこれからだったんじゃない? だからどんな風に楽しく過ごすのか………見てみたくは、あったかな」
少なくとも、最終的にあのコの周りに集まったドールは、決して弱い存在ではなかったと思う。だからきっとこれから、もっともっと楽しいことが待っていて、彼らがあのコをそこへ連れて行くだろうと思っていた。でも結局、あのコの中で育ち、ぐちゃぐちゃに絡まる想いは、そんな単純なものではなかった。 ゆっくりとそれを解く時間さえ、あのコは望まなかったんだ…
「……そうだね。これから……楽しく過ごせただろうに、ね」
隣にいるククツミも、同じ気持ちだろうか。それとも…『あっちのコ』の話ばかりで実はうんざりしているだろうか。 ボクはぼんやりと空を見上げた。そこから今何かが飛んでくるわけでもないのに。
「れおれおだってあのコのことあんなに好きだったのに……ホントにこれでよかったって、思ってるのかな」
ククツミの元の人格をレオが取り戻したことに納得できなかった理由はここにある。以前、もういなくなってしまった先生と五期生でお茶会を開いた時、レオは終始ククツミという単語を吐き続けていた。もはやそれが彼の鳴き声であるかのように。
でも、彼が話していた『ククツミ』は『あっちのコ』について…だったと思う。レオは、ククツミの笑顔が大事だと言っていた。『あっちのククツミ』は『こっちのククツミ』に比べると笑顔がやや少な目という印象だった。これは単なる推測だけど…その貴重なものをあのコはレオだけには、惜しみなく与えていたんだろう。だからこそ、レオにとってその笑顔は宝物だったに違いない。どこかのバカみたいに『ククツミという器であれば中身はなんだっていい』などとは絶対に考えないはず。
……あれ。ボクは前からこんな風に特定のドールのことを深く考えるヤツだったっけ。
「……そっか。好きになったんだね、レオくんは。……ふふ、そっか」
レオ自身は、納得しているんだろうか。仮にあのコが『終わること』を心から望んだとして、愛するドールからの望みを喜んで叶えたとして。本当にそれで良かったのだろうか。
「本当に……想ってくれてる子が、こんなにもいたのにね……」
ククツミの声が少し眠そうだ。まるではじめから何事もなかったかのように空は青くて、ぽかぽかしているから。 レオの気持ちを聴いてみようか?…そういえば彼を最近とんと見かけない。探しに行こうか?…でも、二人が本当にどういう関係だったか実際のところはわからないし、お互い納得するまで話し合ったのかもしれないし、そこまで確かめなくてはならないほどボクは彼とも、あのコとも親しくなかったはずだ。 だけど……
……やめやめ!これ以上深堀りするのはやめよう。
「……。
………ね。 ククツミちゃんは折角ガーデンに戻ってきたんだし、これからずーっとここで過ごすんでしょ?」
ボクにとって、『ガーデンの頼れるセンパイ第一号のククツミ』が戻ってきた喜びだってウソじゃない。だからこそ、しっかりこれだけは言っておかなきゃ。
「……?え、っと……そう、だね?」
ボクが突然に~っこり笑って空気の流れを変えたのに戸惑っているのか、質問の意図がわからなかったのか、ククツミは首を傾げる。
「っていうかできればそうしてくんないと困るよ!情報処理が追い付かない~!」
しまってあるオモチャがいきなり増えたり減ったりされると困る。面倒だとふざけたように笑う。
「……ふふ、そうだね」
ククツミも、それにつられてクスッという音と共にはにかむ。
「……また、よろしくね!『ククツミセンパイ』!」
「……また、よろしくね。カガリくん」
お互いに向かい合って、振り出しに戻ったかのように挨拶を交わす。 結局のところ、ボクは『ククツミセンパイ』とは10日しか一緒にいなかったのだ。センパイとの学園生活は、ここからが本当の始まりなのかもしれない。
…ああ。結局ボクは何が言いたかったんだろう。すっきりと考えを纏められない。
もうこんな時間。このまま起きていよう。寝ずに済むなら、今はその方が都合が良い。
Diary023「再会とお別れと」
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